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HISTORY 競技

日本女子アマチュアゴルフ選手権競技

1953年に始まった日本女子アマの“前身”
全日本女子ゴルフ競技大会

日本ゴルフ協会主催の日本女子アマチュアゴルフ選手権が始まったのは1959(昭和34)年。日本のゴルフ史の大きなエポックとなった霞ヶ関カンツリー倶楽部でのカナダカップ(日本代表の中村寅吉と小野光一が個人戦・団体戦とも制覇)の2年後、いわゆる「第1次ゴルフブーム」の最中のことだった。

 だが、同選手権には“前身”に当たる日本ゴルフ協会後援の全国女子大会があった。読売新聞社の主催で1953年と54年に開催された「全日本女子ゴルフ競技大会」。そして、主催が毎日新聞社(日本ゴルフ協会後援)に替わって55年~58年の4年間開催さた「全日本女子ゴルフ選手権大会」である。

 前者の第1回大会は1953年5月12日~13日、相模カンツリー倶楽部で行われた。5月7日付け読売新聞の告知には、

 「本大会がわが国はじめての全日本の精鋭を集めるだけに出場選手の意気高く早くも大阪、九州からも上京して連日猛練習をつゞけています。一方、日米親善に資する一助として座間、程ヶ谷、小金井、ジョンソン(霞ヶ関)の各倶楽部よりアメリカ女流選手二十名も参加しますので、国際色豊かに華麗なプレーが展開されるものと期待されています」と、我が国初の全日本規模の女子個人競技であることが謳われている。

 競技は54選手の出場で、初日の午前中に18ホールストロークプレーによるクォリファイング(予選)を実施。その1位~8位をファーストフライト(優勝者を決するトーナメント)、9位~16位をセカンドフライトに分け、それぞれ初日の午後から18ホールマッチプレーを行った。

 その決勝戦は、「日本ゴルフ協会七十年史」に次のように紹介されてある。

 「注目のファーストフライトでは優勝候補の阿座上秋子、伊沢鈴子が最終日まで勝ち進み、決勝で阿座上が5エンド4で勝ち、戦前戦後を通じて最大といわれた女子ゴルフ大会初のチャンピオンに輝いた」

 同年史は、続けて、

 「大会は読売新聞社主催。当初は全日本選手権として企画されたが、女子ゴルフの技術が未熟などの理由で選手権を名乗るのは時期尚早との意見もあり、日本ゴルフ協会は後援に回り、大会名称もゴルフ競技大会にとどめた。後に大会は3回目からは主催を毎日新聞社に移し、それまでのマッチプレー制を54ホール・ストロークプレーに変え、昭和33年(1958)まで行った」と歴史がつづられてある。

 

1959年、第1回大会の優勝は
ハワイから出場したエドナ・リー・ジャコラ

 大会の主催を日本ゴルフ協会が引き継ぎ、新たに「日本女子アマチュア選手権」として始まった第1回大会は1959年10月8日と9日、東京ゴルフ倶楽部(6175ヤード、パー74)に国内外から67選手が参加。2日間・54ホールストロークプレーで行われ、初代チャンピオンにはハワイから出場したエドナ・リー・ジャコラ(Edna Lee Jackola)が就いた。

 ジャコラは初日の27ホールを123ストロークでプレー。同じくハワイから出場したエイミー・アミジッチ(Amie Amizich。注:「日本ゴルフ協会七十年史」ではアミジッヒと表記)と横河初子に4打の差をつけ、トップに立った。2日目、ジャコラはアミジッチと横河に猛追された末、126ストローク、合計249ストロークで競技を終了。終わってみれば、アミジッチ、横河との差はわずか1打。デッドヒートの末の優勝だった。

 3選手による熱戦を当時の新聞は観戦後記で次のように報じている(『日本ゴルフ協会七十年史』より抜粋)。

 「ジャコラ、横河の両夫人とアミジッチの組が観衆をひきつけ終始はげしい優勝争いが演じられた」

 「観衆はセキひとつせず、無心な虫の音だけがかすかに静寂を破るなか“静かなる決闘”が続いた。15番のロングホール、4オンの横河夫人は再び1ストロークの差をつけられた。16番で1メートルほどのパットを入れれば再びタイにできるところだったが、このパットをミス。ついに残る3ホール、タイストロークでジャコラ夫人にがい歌があがった」

 なお、タイスコアのアミジッチと横河は大会規定により、2位・3位を決するためのプレーオフを行い、アミジッチが2位になっている。

一方、敗れた横河だが、翌年、千葉カントリークラブ野田コースで開催された第2回大会で雪辱。“女子アマチュアゴルファー日本一”のタイトルに輝いている。

 

第2回大会で、日本人として初めて
日本女子アマチュアゴルフ選手権競技の
優勝者となった横河初子

日本人女性初のシングルプレーヤーとしても知られている

 

最多優勝は泉谷珠子の4回
最年少優勝は宮里美香の14歳8カ月

同選手権の競技方式は、1975年(第17回)まで2日間日程の54ホール・ストロークプレー。その後、翌76年から3日間日程の54ホール・ストロークプレーに変更。さらに、2000年~2015年は、男子の日本アマチュアゴルフ選手権と同様、5日間の日程で、最初の2日間で36ホール・ストロークプレーのクォリファイング(予選)を実施。上位32人が翌日からの18ホール・マッチプレー競技に進出し、決勝戦は36ホール・マッチプレーで争われる競技方式に。そして、2016年からは72ホール・ストロークプレー方式で行われている。

 

2004年、14歳8カ月の最年少記録で日本女子アマチュア選手権競技に優勝した宮里美香

 

 最多優勝は泉谷珠子の4回(1964年~67年で4連覇)。続いて、3回は清元登子(1969年、72年~73年)と服部道子(1984年~85年、88年)が記録。また、連覇は上記3選手のほか、山田まち子(1974年~75年)、中島真弓(1996年~97年)、魏筠潔(ウェイ・ユンジェ、1998年~99年)、比嘉真美子(2011年~12年)が達成している。

 最年長優勝は渡辺恵子の43歳7カ月(1993年)。最年少は宮里美香の14歳8か月(2004年)。また、最年長出場は楠達子の63歳1カ月(2002年)、同最年少は松原由美の10歳4カ月(2009年)となっている。

 なお、上記・服部道子の母親・松波紘子は1962年大会で優勝。親子で歴代優勝者に名前を刻んでいる。

 

文/小関洋一

 

※記録はいずれも2024年末時点

 

参考資料

「日本ゴルフ協会七十年史」

日本ゴルフ協会会報誌「Golf Journal vol.71」(2002年10月発行号)

 

日本女子アマチュアゴルフ選手権競技歴代優勝者一覧

開催年 優勝者 Score 開催コース Yards Par
読売新聞社主催「全日本女子ゴルフ競技大会」として開催
1953 阿座上 秋子 5 and 4 相模CC    
1954 西邑 敦子 2 and 1 我孫子GC    
毎日新聞社主催「全日本女子ゴルフ選手権大会」として開催
1955 伊沢 鈴子 268 我孫子GC    
1956 横河 初子 257 霞ヶ関CC西C    
1957 ☆小坂 旦子 273 鷹之台CC    
1958 ジョアン デモン 269 茨木CC東C    
JGA主催「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」となる
1959 エドナ L. ジャコラ 249(+27) 東京GC 6175 74
1960 横河 初子 264(+45) 千葉CC野田C 6580 73
1961 鈴木 信子 255(+39) 廣野GC 6315 72
1962 松波 紘子 247(+22) 相模原GC西C 6435 75
1963 田坪 信子 254(+29) 西宮CC 6185 75
1964 泉谷 珠子 254(+38) 霞ヶ関CC西C 6229 72
1965 泉谷 珠子 250(+22) 茨木CC西C 6315 76
1966 泉谷 珠子 241(+19) 相模CC 6237 74
1967 泉谷 珠子 241(+19) 城陽CC東C 6445 74
1968 井福 羽留子 240(+21) 柏GC 6350 73
1969 清元 登子 235(+19) 名古屋GC 6245 72
1970 外山 雅代 243(+24) 小金井CC 6172 73
1971 橘 道子 247(+31) 名神八日市CC 6225 72
1972 清元 登子 227(+5) 東京GC 6373 74
1973 清元 登子 217(-5) 東名古屋CC西C 6365 74
1974 山田 まち子 235(+19) 霞ヶ関CC西C 6029 72
1975 山田 まち子 198(+18) 名古屋GC 6245 72
1976 石井 羽留子 240(+18) 相模CC 5702m 74
1977 加納 由美子 226(+10) 宝塚GC旧C 5549m 72
1978 宮沢 晴代 227(+11) 名四CC 5600m 72
1979 小田 美岐 229(+13) 東名CC 5728m 72
1980 ☆宮沢 晴代 235(+13) 芦原GC海C 6201 74
1981 原 早里 224(+8) 我孫子GC 6101 72
1982 ☆小林 弘実 230(+14) 琵琶湖CC 6173 72
1983 松原 寿江 218(+2) 習志野CCクイーンC 6227 72
1984 服部 道子 223(+1) 周南CC 6320 74
1985 服部 道子 221(+5) 池田CC 6174 72
1986 橋本 愛子 221(+5) 千葉CC野田C 6146 72
1987 喜多 麻子 223(+7) 名古屋GC 6004 72
1988 服部 道子 214(-5) 柏GC 6259 73
1989 ☆文平 友恵 223(+7) 広島CC八本松C 6180 72
1990 元 載淑 221(-1) 茨城GC東C 6228 74
1991 斎藤 美樹 223(+4) 岐阜CC 6112 73
1992 芳賀 ゆきよ 215(-1) 習志野CCクイーンC 6079 72
1993 渡辺 恵子 226(+10) 仙台CC 6269 72
1994 大山志保 212(-4) 南山CC 6163 72
1995 米山 みどり 225(+9) ハッピーバレーGC 6282 72
1996 中島 真弓 183(+3) ブリヂストンCC 6109 72
1997 中島 真弓 214(-2) 詫間CC 6024 72
1998 魏 筠潔 217(-5) 相模CC 6166 74
1999 ☆魏 筠潔 216(0) 南愛知CC 6138 72
2000 紫垣 綾花 9 and 8 賀茂CC 6170 72
2001 井芹 美保子 1up 小野GC 6180 72
2002 上原 彩子 6 and 5 オークヒルズCC 6327 72
2003 宮里 藍 1up 桑名CC 6365 72
2004 宮里 美香 3 and 2 六甲国際GC 6218 72
2005 諸見里 しのぶ 4 and 3 札幌GC由仁C 6347 72
2006 森 桜子 6 and 5 鷹之台CC 6381 72
2007 綾田 紘子 1up(38H) 宮崎CC 6323 72
2008 森 桜子 1up 廣野GC 6275 72
2009 藤本 麻子 8 and 6 仙台CC 6317 72
2010 酒井 美紀 1up ツキサップGC 6399 72
2011 比嘉 真美子 6 and 5 宝塚GC新C 6216 72
2012 比嘉 真美子 2 and 1 愛知CC 6371 74
2013 森田 遥 1up(37H) 東児が丘マリンヒルズGC 6227 72
2014 蛭田 みな美 3 and 2 大洗GC 6346 72
2015 勝 みなみ 6 and 5 札幌GC輪厚C 6401 72
2016 高橋 彩華 276(-12)  グランディ那須白河GC 6225 72
2017 安田 祐香 274(-14)  奈良国際GC 6573 72
2018 吉田 優利 287(-1)   嵐山CC 6646 72
2019 西郷 真央 272(-16)  エリエールGC松山 6536 72
2020 新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止
2021 尾関 彩美悠 278(-10)  大山GC 6638 72
2022 寺岡 沙弥香 276(-12)  岐阜関CC東C 6568 72
2023 飯島 早織 285(-3)   秋田CC 6409 72
2024 鳥居 さくら 274(-14)  我孫子GC 6648 72

☆はプレーオフ

 

競技方式の変遷

JGA主催となった1959年を第1回大会とする。

1959~1999年は54ホールストロークプレー(1975、1996年は悪天候のため45ホールに短縮)

2000~2015年は36ホールストロークプレーの予選を行い、上位32名によるマッチプレー

2016年以降は72ホールストロークプレー

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