HISTORY ゴルフ場
武蔵野カンツリー倶楽部・平山コース(1924~1926年)
東京都日野市平山および八王子市堀之内の丘陵地(現・都立平山城址公園一帯)には、かつて「平山ゴルフ場」と呼ばれた「武蔵野カンツリー倶楽部・平山コース」が存在した。1924(大正13)年に誕生した武蔵野カンツリー倶楽部(以下、武蔵野CC)は、日本のゴルフ史における大衆化と発展の過程を象徴する存在として位置づけられる。
(図1)『東京日日新聞』1924(大正13)年6月17日
武蔵野CC・平山コースの設立と背景
武蔵野CCの設立は、新宿・戸山ヶ原にあった「戸山ヶ原ゴルフ俱楽部」の会員たちが、自分たちの専用コースを熱望したことに端を発する。土地探しは難航し、当初は目黒の競馬場内や現在のJR中央線・豊田駅(現・東京都日野市)周辺が候補に挙がったが、地代や安全性の問題から断念された。最終的に、地主であった杉山又吉(のちに平山コース支配人)が24人の地主との交渉役を引き受けたことで、七生村平山(現・東京都日野市平山)に約10万坪の土地を確保し、1924(大正13)年3月頃から造成が開始された。
1924年6月の『東京日日新聞』(図1)では、「手軽に入会できる俱楽部」として大きく紹介されている。交通面においても、当時の玉南電気鉄道(現・京王電鉄京王線)の平山停留所から徒歩2分という好立地が強調され、庶民的なゴルフの普及が期待されていた。

(図2)『東京日日新聞』1924(大正13)年7月9日
再度の会員募集。3ホールまでのプレーが可能(4ホール完成しているがプレーできるのは3ホール)、会員証があればプレー(練習)できる為、臨時クラブハウスとしてゴルフ場入口にある杉山又吉の家を利用するよう伝えている
粗末ながらも熱気に満ちたコース運営
平山コースの最大の特徴は、当時の他の名門倶楽部と比較して、極めて低予算で造られた点にある。同時期に創設された程ヶ谷カントリー倶楽部(1921年に程ヶ谷ゴルフ株式会社設立、1922年に同倶楽部創立)¹が18ホールの建設に65万円を投じていたのに対し、武蔵野CCは借入金を含めてもわずか4,500円という、程ヶ谷のグリーン1つ分にも満たない費用でコースを完成させた。そのため、グリーンの芝が育たず、フェアウェイも野芝が成長しきらないなど、設備としては非常に簡素なものであった。
当時の平山コースの環境が、他の名門倶楽部といかに異なっていたかを示す象徴的なエピソードがある。のちに程ヶ谷カントリー倶楽部で総務委員や名誉書記を務めることになる堀籠乕之介(ほりごめとらのすけ)の体験談である。
1924(大正13)年に戸山ヶ原でゴルフを始め、武蔵野CCに入会した堀籠は、平山コース特有の「芝のないサンドグリーンやフェアウェイ」でのプレーにすっかり慣れ親しんでいた。ある時、先輩に連れられて名門・東京ゴルフ倶楽部(駒沢)を訪れた際、堀籠は一面に広がる芝の上から上手く球を打つことができず、「芝の上ではやりにくくてしかたがない」と思わず愚痴をこぼしたという。この発言は当時のゴルフ界で語り草となり、その1年後、堀籠が程ヶ谷カントリー倶楽部への入会面接に臨んだ際、面接官の井上信から「君かね、芝の上ではゴルフはやりづらいと言ったという男は……」と手厳しくやり込められたと伝えられている。
こうした環境にありながらも、会員たちの熱意は高く、コース完成前から銀杯争奪トーナメントなどの競技会が活発に開催された。1925(大正14)年には中上儀三郎(プロゴルファー中上数一の実弟)が優勝した初の倶楽部選手権も行われている。また、当時の北京特命全権公使であった芳澤謙吉が来場した際には、日本のゴルフの贅沢さを指摘しつつ、平山コースの庶民的な雰囲気や、支配人を務めていた杉山が提供した茄子の煮物や鮎といった田舎料理を絶賛したという逸話も残されている。


(図3)提供 日野市郷土資料館
「ゴルフクラブを構える杉山又吉氏」
移転と多摩CCとしての再興
武蔵野CCは順調に会員数を増やし、1925(大正14)年には社団法人²としての認可を得る。しかし、1926(大正15)年2月の総会において、起伏の激しい平山コースを拡張するよりも、新たな拠点へ移転することが決定した。これに伴い、武蔵野CCは同年10月に千葉県六実へ移転し、平山コースは一旦閉鎖された。
その後、コースを惜しむ会員らによって「多摩カンツリー倶楽部」が設立され、1928(昭和3)年に平山コースは再開場を果たした。しかし、戦時下による時局の悪化から1938(昭和13)年1月6日³に再び閉鎖を余儀なくされ、終戦後も復活することはなかった。
文/井手口香
註
1) 阿部雄輔 編『程ヶ谷百年 Hodogaya Country Club 1922-2022 』2023年、p.52
2) 文部省 編『法人一覧(昭和8年)』大15至昭14、p.5
3)日野市史編さん委員会『日野市史 通史編 4 (近代⑵・現代)』1998年、p.250
参考文献
「ゴルフ座談会の記(5)」『GOLF DOM 12月号』1930年、pp22-25
日野市生活課『平山をさぐる―鯨陵源とその時代』1994年
摂津茂和『世界ゴルフ大観-日本篇 新版日本ゴルフ60年史』ベースボール・マガジン社、1977年
井上勝純『日本ゴルフ全集4 日本ゴルフコース発達史⑵』三集出版、1994年
INDEX

