HISTORY 人物
中村寅吉
ゴルフブームの立役者

30代後半の中村のスイング
伊勢原CC提供=日本ゴルフ殿堂所蔵
中村寅吉
Torakichi Nakamura
1915(大正4)~2008(平成20)
カナダカップ制覇で日本にゴルフブームを巻き起こし、女子プロゴルファーの誕生や育成に大きく寄与した。日本ゴルフ史における中村寅吉の存在感は極めて大きい。
1915(大正4)年、神奈川県で生まれた。生家は農家。現在の横浜市保土ケ谷区にあった。
中学を出ると、生家の近くにあった程ヶ谷カントリー倶楽部にキャディとして入った。程ヶ谷カントリー倶楽部は1967(昭和42)年に横浜市旭区に新コースを造成して移転しており、中村がキャディをしていた時代のコースは現存していない。
程ヶ谷カントリー俱楽部に入ると、同世代のキャディ仲間でゴルフのまね事を始める。木の枝に手を加えてクラブのような形にし、拾ったボールを打って遊んでいた。
やがて、中村ら少年キャディは程ヶ谷カントリー倶楽部所属プロの浅見緑蔵からゴルフを教わるようになる。キャディトーナメントが開催され、そこで勝つことに一生懸命になった。仲間と切磋琢磨するうちに、腕が上がっていった。
19歳の時、プロとして認められた。現在のようなプロテストはない時代。浅見の立ち合いのもと、36ホールをプレーして160ストローク以内なら“合格”だったようで、その条件をクリアした。
トーナメントにも出場するようになり、日本オープンでは1938(昭和13)年に3位、1941(昭和16)年には2位に入るなどしたが、戦争による中断前に優勝することはなかった。
1950(昭和25)年、関東オープンで初優勝
終戦の3年後、1948(昭和23)年からプロのトーナメントが徐々に再開される。そして1950(昭和25)年、中村はついに初優勝を飾る。この年に創設された関東オープンゴルフ選手権の初代チャンピオンに輝いたのだ。すでに34歳になっていた。
この優勝が遅咲きの快進撃のきっかけになる。関東オープンゴルフ選手権では第1回大会から4連覇を果たし、2年おいて今度は3連覇して計7勝を挙げた。1952(昭和27)年には日本オープンゴルフ選手権初制覇。11打差の圧勝だった。
10月に国別対抗戦のカナダカップ日本初開催を控えていた1957(昭和32)年、中村は7月に日本プロゴルフ選手権で初優勝を手にする。そして大会後に発表されたカナダカップ日本代表に小野光一とともに選出された。
年間数試合の時代に、
5年間でカナダカップなど13勝
霞ヶ関カンツリー俱楽部で行われたカナダカップで日本は大本命と目されていた米国に9打差をつける圧勝を飾り、中村は個人戦でもサム・スニード(米国)やゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)らに7打差をつけて2冠に輝いた。
この模様は日本初のゴルフ中継としてテレビで流れたこともあってゴルフへの注目度が急速に高まる。ゴルファーの数が急増し、それに伴ってゴルフコースの造成が相次いだ。中村は日本にゴルフブームが起こした立役者だったのである。
このカナダカップ前後が中村のプレーヤーとしてのプライムタイムだった。カナダカップ前年の1956(昭和31)年から1960(昭和35)年までの5年間で日本オープンゴルフ選手権2勝、日本プロゴルフ選手権3勝、関東オープンゴルフ選手権3勝、関東プロゴルフ選手権1勝など国内トーナメントで計13勝を挙げている。まだトーナメントが年間数試合の時代だから、5年間で13勝はとてつもない数である。この5年間で中村に次ぐ優勝数は小針春芳の4勝。中村はケタ違いの強さだったわけだ。

カナダカップ個人優勝のインターナショナルトロフィーをフランク・ペース大会会長から授与される中村寅吉。伊勢原CC提供=日本ゴルフ殿堂所蔵
樋口久子を育て上げ
日本女子プロ協会初代会長に
中村はプレーヤーとしてだけでなく、安田春雄ら多くのプロゴルファーを育てるなど指導者としても存在感を示していた。愛弟子の中でも代表格は日本の女子プロゴルファーでは最多となる国内外通算72勝を挙げた樋口久子だろう。1960年代、当時、自らが社長を務めていた川越カントリークラブで樋口をイチから育て上げたのだ。
1967(昭和42)年、日本プロゴルフ協会は女子部を創設し、中村が部長に就任した。女子プロゴルファーの誕生に重要な立場で関わっていたわけだ。同年10月に第1回の女子プロテストを実施。中村が手塩にかけた当時22歳の樋口がトップ合格を果たした。

初期の日本女子オープンゴルフ選手権(当時の大会名はTBS女子オープン)で選手のプレーを見守る中村寅吉。伊勢原CC提供=日本ゴルフ殿堂所蔵
以降も中村は女子プロゴルフ界の発展に尽力。1974(昭和49)年に女子部が日本女子プロゴルフ協会として独立した時には初代会長に就任している。
プレーヤーとしての中村も長く輝きを放った。1968(昭和43)年には52歳にして関東プロゴルフ選手権を制するなど年間3勝。1972(昭和47)年には56歳で沖縄テレビカップを制している。
シニアのトーナメントでも日本プロゴルフシニア選手権2勝など多くの勝利を収める。65歳で迎えた1981(昭和56)年の関東プロゴルフシニア選手権では第1ラウンドで65をマークしてエージシュートを達成した。これが国内のプロゴルフトーナメントにおける初めてのエージシュートとして歴史に刻まれている。
ファンや仲間から寅さんと呼ばれて親しまれ、尊敬された中村は1993(平成5)年に勲四等旭日小綬章を受章する。プロゴルファーでは安田幸吉に次ぐ2人目の叙勲だった。
文/宮井善一
中村寅吉 主な成績
・日本オープンゴルフ選手権 3勝 1952、56、58年
・日本プロゴルフ選手権 4勝 1957、58、59、62年
・関東オープンゴルフ選手権 7勝 1950、51、52、53、56、57、58年
・関東プロゴルフ選手権 3勝 1960、61、68年
・カナダカップ団体・個人優勝 1957年
参考文献
『Waik with History vol.2』(日本プロゴルフ殿堂)
『中村寅吉 栄光のゴルフ』(日本図書センター)
『50年の歩み』(日本女子プロゴルフ協会)
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