HISTORYに関する記事

HISTORY 競技

日本選手初の海外遠征

日本人ゴルファー初めての海外遠征は
1924(大正13)年の第1回チャイナアマチュア選手権

 日本人ゴルファーが初めて海外遠征を敢行したのは1924(大正13)年秋のことである。これ以前にも米国留学中にアマチュアのトーナメントに出場した赤星六郎のような例はあったが、トーナメント出場が目的で日本から海を渡ったのはこの年、中国・上海で開催された第1回チャイナアマチュア選手権に挑んだ大谷光明と赤星四郎が初めてだった。
 ちなみに、日本人プロゴルファーの初海外遠征はこの5年後、1929(昭和4)年のハワイアンオープンである。
 第1回チャイナアマチュア選手権は11月1、2日の2日間、上海ゴルフ倶楽部江彎(江湾)コースで行われた。当時、大谷は39歳で赤星は29歳。大谷は10月に設立されたばかりのJGAコミッティーで、2年前の日本アマチュアゴルフ選手権覇者でもある。赤星はこの年、初出場の日本アマチュアゴルフ選手権で敗れはしたがプレーオフまで進んだ気鋭の若手だった。ゴルフ誌の『GOLFDOM』によると、当初は大谷、赤星のほかにも川崎肇ら5人の選手が日本から参加する予定だったが病気その他の都合で直前になって遠征を取りやめている。
 天候は両日とも申し分のないゴルフ日和だった。ただ、連日の好天でグリーンが硬くなり『GOLFDOM』には「非常にfastに過ぎて外来選手は非常に困難された。」との記述がある。

 

チャイナアマチュア選手権に参加した時の大谷光明(左から2人目) (GOLFDOM1924年11月号=JGA所蔵=より)

 

日本人選手5人が出場。
赤星四郎が6位、大谷光明が12位に

 出場者は38人。地元の組織である上海日本人ゴルフ俱楽部からも谷内憲行、功力寅次、安藤博の3人が参戦していたため、日本人選手は計5人ということになる。
 競技方法は72ホールストロークプレー。大会初日は午前9時15分に第1ラウンドがスタートした。第2ラウンドは午後1時開始。この日は土曜日とあって観客が多かったようだ。
 赤星は79、79の158で首位から4打差の3位につけた。大谷は87、88の175と苦戦した。

 

チャイナアマチュア選手権で
6位になった赤星四郎(後列中央)
(GOLFDOM1924年11月号=JGA所蔵=より)

 

 翌日は第3ラウンドと最終ラウンドが行われ、午後4時に競技は終了。優勝したのは上海ゴルフ倶楽部所属のJ・B・Ferrierで306ストロークだった。赤星は318で6位、大谷は333の12位で初の海外遠征を終えた。上海日本人ゴルフ俱楽部から参加した3人は下位に終わっている。
  『GOLFDOM』に大会の様子を寄稿したのは名前こそ記されていないが上海日本人ゴルフ倶楽部のメンバーだったようで、「上海日本人ゴルフ倶楽部の為めに赤星氏は十一月三日朝、大谷氏は同四日朝各々新公園リンクに於いて特にexhibition gameをして下さつて大に後進者を指導して下したことはこれ亦一同が深く感謝する所です。」とレポートを締めている。

 

文/宮井善一

 

参考文献
『日本ゴルフ協会七十年史』
『GOLFDOM』1924年11月号

INDEX

Recommend

Most Viewed

Pickup Keyword

JGAゴルフ・ミュージアム 日本ゴルフ殿堂